どーもムシタロー です。
僕は、前職の時に出張でよく沖縄県に行っていました。
1年で、5回。
1回の出張で5日間行くので、トータル25日。
約1ヶ月ですね。
なぜ、そんなに沖縄県に行っていたかというと・・・・
あの空気感が大の大好きだからです。
もちろん営業会社としていくため、営業の結果も求められます。
僕の勤めていた会社の人たちは、あまり沖縄に行きたがりません。
なぜなら結果が短期間で出にくい地域と皆認識しているから。
だから僕はここぞとばかりに沖縄県に出張にいったんです。
沖縄県で、営業に行くなら本島(那覇市など)がメインなんですが、今回は宮古島に行った時のお話しです。
まず宮古島ってどこ
宮古島(みやこじま)は、沖縄本島から宮古海峡を経て南西に約290 km、東経125度、北緯24度に位置し、太平洋と東シナ海の間にある島である。
沖縄県本島の那覇空港からさらに飛行機で向かいます。
普通に観光地ですし那覇市よりも、いままでイメージしていた沖縄に近い印象です。
そして海の透明度が半端ない・・・・・
僕は、宮古島市平良(ヒララ)というエリアを営業でまわっていたのですが、近くにある「パイナガマビーチ」によくタソガレにいってました。
このパイナガマビーチは定番のビーチなんですが、本当にきれい。
宮古島の素晴らしさは、インターネットで画像検索してもらうとわかると思います。
しかも定番の場所でこの綺麗さ。
他の海いったらもっとすごいでしょう。
僕はいけなかったんですけどね・・・泣
今回書きたいのは、海のことではなく、そんな海の綺麗な宮古島である風習を体験したことなんです。
それは・・・・
「オトーリ」
オトーリとは
オトーリ(御通り、おとおり)は、沖縄県の宮古列島で行われる飲酒の風習である。
車座になって泡盛を飲む酒宴の席で行われる。
引用:ウィキペディアより
ウィキにはこう書いてあります。
これ、延々と泡盛を回し飲みするんです。
なにそれ?
って思った方もいると思いますので少しオトーリの説明を。
このオトーリにはルールがあるんです。
僕が聞いたオトーリのルール
①親を決める
②親が一言言ってまず泡盛飲む(グラスは小さめのでした)
③親が次の人にグラスを渡し、泡盛を注ぐ
④次の人が飲み、グラスを親へかえす
⑤親はまた別の人へ同じことをおこなう
⑥これが一周したら、親を変え、延々とそれを行う。
わかりますかね。この酒豪の人しかできなそうなルーティン。
オトーリ体験
僕は、出張中ふらりと入った、スナックのママからこの「オトーリ」を教わりました。
初耳だった僕のために他のお客さんも混ざり、このオトーリをみんなでやったのです。
みんな凄い・・・
僕もそこそこ飲める口なので問題はなかったのですが、こりゃ普通に酔います。
抜けたい人は途中で抜けてくみたいなので、まぁやばいことにはならなそうですが。
このオトーリの起源を見てみると、
起源は、16世紀頃に琉球王国の領地内で流行した中国式の乾杯である。
その当時は、酒宴の開催者が来賓に酒を振る舞うために行っていたらしい。
琉球王府時代、穀物の生産量が少なかったので、泡盛は首里でのみ製造を許可されていたため、庶民には非常に貴重品であった。
そのため、量の少ない泡盛を酒宴の参加者に均等に分けるために行われた。
引用:ウィキペディア
ただ、今のオトーリとは違うみたいです。
そして現在の形になったのは、
1970年代後半になってから、泡盛の酒造メーカーが、泡盛の消費量を向上させるための宣伝で、風習にあったものをかなり簡略化・変形して居酒屋等でも行われるようになった。
現代あるオトーリは、かつて神事の中で行われた儀礼とは全く趣を異にしている。
それは、泡盛の消費を促進する目的で流行させられたモノである。併せて、そのオトーリによりそれまで有った濃密な人間関係を擬似で一時的に演出する事にも成功した。
ちなみに、1970年代平良の街では、オトーリが行われることはまず無かった。
1980年代に歓楽街等で行われるようになり、1990年前後に宮古島の観光業が盛んになると観光客に広まり、全国に知れ渡った。
引用:ウィキペディア
こんな感じみたいですね。
実際にやってみて確かに、ものすごく親密な関係になりましたしものすごく楽しかったです。
ただ、無茶をすると急性アルコール中毒になってしますので、まずいとおもったらしっかり抜けないといけないですね。
実際に、過去死亡事故もあったようで、廃止の声もあるみたいです。
最後に
このオトーリ。
現地の人とやると認められたみたいな感じになるみたいです。
このことを、営業先で話すと一気にこころを開いてくれ、話も花が咲きました。
オトーリのパワーに結構助けられたムシタローなのでした。
以上です。
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