僕はじぃに守られている。

どーもムシタロー です。

 

今日は、少し昔のエピソードですが、僕の祖父(じぃ)のお話。

 

めちゃくちゃ頑固で、葬式でも若い時から知っているお坊さんから破天荒エピソードを皆の前で披露されるくらい昔から結構イカツイじぃ。

 

1代で家畜(牛)をはじめて、結構なお金を作ったじぃ。

 

普通になくなった今でも尊敬してます。

 

腕相撲もめちゃくちゃ強くて、僕が高3の時負けた記憶があります。

 

ちなみに僕、結構体格もよく、そこそこ力も強かったんですけどね。

 

そんなじぃの話。

 

じぃとの濃密な幼少期

僕の家は、共働きで、父がサラリーマン。母が看護師。

 

母は、夜勤もこなしていたので僕はじぃの家によくお泊り。

 

母の勤務先の託児所(小4までお世話になってました。)と、

実家と、

じぃの家。

 

幼少期はこのルーティンでした。

 

じぃの家から学校に通う時もありました。

(遠いのでじぃの車で)

 

そのくらいかなり密にじぃとは過ごしてました。

 

じぃの家は薪風呂で、じぃと斧で薪割りをしたり。

 

育てていた牛の餌やワラを一輪車で運んだり。

 

敷地内にあった、プラムの木に登りもぎって食べたり。

 

勝手に牛小屋侵入して怒られたり。

 

一緒にパチンコいったり。

 

なんか映画に出てきそうなくらいの田舎の日常ですね。

 

そんなほんわかとした思い出ばかり。

 

しかも、近所じゃ有名な頑固ジジイなんですが怒られた記憶がないんです。

 

相当可愛がられてたみたいです。

 

時は経ち僕が25歳の頃のじぃ

 

そんなじぃとは一緒には住んでなかったものの、暇だったら寄るみたいな感じでした。

 

僕が18になり東京にでてからもたまに戻ってきてはじぃの家に寄ったりしてました。

 

お小遣いももらえますしね。笑

 

ある時、諸事情により、一時的にじぃの家の横にある空き家に住むことになった僕。

 

久しぶりの地元生活です。

 

その頃のじぃは、家畜はもうやめて、広い敷地内の家に一人ですんでました。

 

バァちゃんも健在でしたが、足が動かず、老人ホームに。

 

じぃは介護のヘルパーを利用しており、週に数回通院もしてました。糖尿病だったので、透析をしていたんです。

 

じぃと僕の地元での生活

 

僕は、日中はとある家電量販店で働き、明け方新聞配達をしていました。

 

地元に戻ってきた理由が、諸事情といいましたが、ほぼお金の問題で、どうしても稼ぐしかなかった僕は、ダブルワークをしていました。

 

朝2時ごろ家を出て新聞屋にいき、5時頃家に戻ってくる。

 

そこで少し寝て、家電量販店へ。

 

そこから夜まで働き家へ。

 

少し寝て、新聞配達へ。

 

結構ハードでしたが、そんな生活を約1年続けていました。

 

なんでもないとある日

 

母から仕事中に電話が。

 

じぃが僕の家の前で倒れているのが発見され、

まだ息はあるが、意識はないとのこと。

 

俺の家の前で?

 

すぐに仕事を早退して、病院へ。

 

じぃは無理やり人工呼吸機で生かされてる感じでした。

 

機械の力で胸が上下してるじぃ。

 

僕に何か伝えたいことがあって家の前まで来たんだって思うと、胸が痛くてたまらなかったです。

 

しばらく家族とじぃをみて、とりあえずなにもできないので、帰って仮眠をとり新聞配達に向かうことにしました。

 

新聞配達で事故に

僕が新聞配達でまわっている地域は、田舎のため基本真っ暗。

 

2時頃に営業所にいき、新聞にチラシなどを挟み、自分の配達エリアの新聞を配る順番に組んで行く。

 

終わった順に、カブの荷台と前のカゴにパンパンに積んでスタート。

 

配達エリアは、林の中をバンバン行くエリアなので怖がりな僕には相当しんどい真っ暗かげん。

 

その日もいつもと同じように、林の中をカブで進んで、ところどころにある契約している家に新聞をおいていきました。

 

ただいつもと違うのは、じぃが意識がなく、病院で、生死をさまよっていること。

 

なんかいつもより無意識にスピードをだしてたと思います。

 

両サイドが竹林の道のコーナーをいつものように曲がると・・・

 

体が宙に浮いて、林の中へ。

 

なにが起きたか、一瞬わからなかったんですが、起き上がって道路を見ると・・

 

竹林から竹が一本道に倒れてました。

 

あーこの竹に引っかかって、吹っ飛んだんだって理解しました。

 

バイクはフレームが折れ、新聞はバラバラのグチャグチャ。

 

足が痛かったんですが、冬だったのでズボンも2枚はいており確認しずらかったので、特に何もせず。

 

そもそもバイクは廃車確定の状態なのに僕は奇跡的に足の痛みだけ。

 

とりあえず、営業所まで、バイクを手でおしてもどりました。

 

残りの新聞は新しく近くのコンビニで購入し、そのままチラシを挟み直し、新たなバイクで配達再開。

 

いつもなら5時から5時半には終わっていたのに、8時近くまでかかってしまいました。

 

念のため終わってから足を確認すると、小さな青タンのみでした。

 

じぃ亡くなる

 

新聞配達が終了し、母親にじぃの状態を聞こうと携帯を見ると既に母親から着信が。

 

すぐさま電話をかけると、既に亡くなっていました。

 

もう、病院から家に帰ってきてるとのことで、急いで新聞配達の営業所から家へ向かいました。

 

車で向かってるとき、涙が止まらず、声を出して泣きながら運転してたのを覚えています。

 

じぃが助けてくれた

 

家につくと、家族が集まっていました。

 

「どうしたそんな泥だらけで。」

 

と家族から聞かれ、事故の経緯を説明しました。

 

すると、じぃの亡くなった時刻とほぼ同じ時刻に事故を起こしていたことが判明。

 

僕は、きっと苦しんでる時に僕が仕事なんかいったから、じぃから怒られたんだっておもいました。

 

しかし、家族は「じぃが最後に守ってくれたんだな。

といいました。

 

たしかにバイクのフレームが折れるくらい大きく転倒したのにもかかわらず、足に青タンのみ。

 

特に血も出でおらず、怪我という怪我がない。

 

僕は家族の言うことを信じることにしました。

 

じぃありがとね。

 

最後に

 

じぃが守ってくれているんだなって思うとなんか不思議と力がわいてきます。

 

僕はその後、1回頭蓋骨を骨折する事故を再び起こしています。

 

脳出血もあったんですが、すぐに止まり、約2週間の入院で退院しました。

 

もちろん脳の経過観察のため通院はありましたが。

 

かなりの高いところからの落下だったのですが、体に一切傷なし。

 

死んでいてもおかしくない高さ。

 

腰回りには工具なんかも沢山つけていたので体が無傷なのが奇跡です。

 

また、じぃが守ってくれたんでしょうか。

 

きっと2度、じぃが守ってくれたお話でした。

 

 

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